アスリートのクリーンスポーツに対する考え方や意思決定、行動は、アスリートが置かれている環境や文化的な規範/背景から大きな影響を受けます。また、これまでWADAが実施している社会科学研究(Social Science Research Projects | WADA )からも、アスリートサポートスタッフがアスリートの行動全般、そしてクリーンアスリートでいることへの意識や行動に大きな影響を与えることが明らかになってきました。
「教育に関する国際基準 (ISE)」では、ドーピングが発生する背景に多様な要因があることを踏まえ、アスリートやサポートスタッフに対して自身の価値観に誠実であること、そのためにスポーツの価値に基づく考え方の醸成、行動変容を与えるために、社会科学研究を基にした教育プログラムの構築や教育アクティビティの実施をすることの重要性が明記されています。

例えば、アスリートがスポーツのみならず、スポーツ以外においてどのような環境に置かれているか、どのような人や団体からいつのパフォーマンス段階で影響を受けているか、またそれらの多様な因子がどのように組合わされてアスリートが意思決定し行動するのかを明らかにすることは、アスリートの責任ある意思決定、行動変容を促すためには欠かせません。さらに、教育プログラムにおける1つ1つの教育アクティビティ(介入)の評価を都度行うことによって、アクティビティにおける教育目標の達成度の評価や、全体の教育計画の評価、教育プログラム自体の評価につながっていきます。またそれらを通して、各パフォーマンスパスウェイ段階でのアスリートがインフルエンサーとして感じている人たちや環境因子を抽出し、各関連団体との連携体制の在り方を検証することで、教育プログラムの推進が可能となります。そして、アスリートがどのようにクリーンスポーツを捉えているか、クリーンスポーツ環境でスポーツを行い競技大会に参加することの大切さを学ぶことに対するモチベーション、さらには、クリーンスポーツの環境やスポーツの価値に働き掛けていくことの意義についても社会科学研究を通じて明らかにすることがねらえます。それらを通して、より効果的で、実効性の高い実践的な教育プログラムの構築をすることが可能となります。

日本においては、JADAが実施するクリーンスポーツに関する調査研究において、アスリートの多様なパフォーマンス(競技)レベルやスポーツへの関りの違いによる比較分析、経時的な比較分析、多様なアスリートサポートスタッフに対する調査・分析、専門家との協働等を通して、「スポーツの価値を通して、より良い社会、未来を創る」人材の育成を目指した体系的なクリーンスポーツ教育プログラムを構築しています。

 

<社会科学調査研究の役割>

国内におけるクリーンスポーツに関する社会科学研究

2021版「世界アンチ・ドーピング規程(以下、2021Code)」及び「教育に関する国際基準(以下、ISE)」等に則した日本国内におけるクリーンスポーツ教育体制を構築するため、「2021Code/ISEの履行に向けた教育に関する検討会議」が設置され、JADA及び国内スポーツ関係団体が対応すべき事項が『2021Code/教育に関する国際基準の履行に向けた戦略計画』(戦略計画)としてとりまとめられました。
2021Code/ISEにを履行するため、戦略計画に基づき、各関係団体がクリーンスポーツ教育を協働して推進する中、戦略計画の導入、適用、定着にあたりその効果を検証するため、JADAにより社会科学研究の実施も推進しています。

JADAの社会科学 調査研究

社会科学研究 by JADA

要約:2022年度

背景と目的

「2021年版世界アンチ・ドーピング規程」「ISE」に準拠したクリーンスポーツ教育プログラム導入のフェーズとして、アスリートがどのように「クリーンスポーツ」「クリーンアスリート」を捉えているかを明らかにし、教育プログラムの適用~実施~定着において効果的な教材やその評価方法を検討する。

サンプル

  • JADA-RTP/TP*登録アスリート(2022年12月時点)
  • ナショナルプール**(IF-RTP/TP)アスリート(2022年4月時点)
  • ナショナルプール(IF-RTP/TP以外)アスリート(2022年4月時点)

* RTP/TP―登録検査対象者リスト(RTP)と検査対象者リスト(TP)。世界や日本を代表するトップアスリートとして、居場所情報の提出が義務付けられている。JADAに登録されるアスリート(JADA-RTP/TP)と国際競技連盟に登録されるアスリート(IF-RTP/TP)がいる
**ナショナルプールー競技団体の強化指定競技者のうち、重点的な教育を行うためにJADAが特定した、スポーツ関係の公的補助金・助成金の受給を希望するアスリート。ただし、JADA-RTP/TPに登録されたアスリートは除く。ナショナルプールを構成するアスリートには、IF-RTP/TPアスリートが含まれる

データの収集と分析

  • JADA-RTP/TP登録アスリートについてはeラーニングコースにおいて当該アンケートを任意で実施
  • ナショナルプールアスリートは、ナショナルプール登録eラーニングコースにおいて当該アンケートを実施
  • クリーンスポーツ教育プログラムを通して、アスリートがルールに違反しないためのアンチ・ドーピング規則順守から、スポーツを通じて社会全体との関わりへと観点を広げることが出来るようになることを目指している。その点を踏まえ、「クリーンアスリートのイメージに最もあてはまるものを3つ選択してください」という質問に対する回答選択を、4つのカテゴリーに分類(図表1)
 

 

【図表1. 回答選択肢の分類】

  • アスリートが選ぶ3つの回答選択肢のなかで、図表1の4つの分類と照らし合わせてスポーツに対する観点の広がりが一番広い分類を、当該アスリートの到達レベルとする。到達レベルが分類Xが含まれる組み合わせを選択したアスリートを「レベルX到達者」として分析を行う(「レベル③到達者」には、分類③、分類①③、分類②③、分類①②③を回答したアスリートが含まれる)(図表2)
  • 競技レベル間で、選んだ回答選択肢と、レベルの到達度を比較する(図表2)
  • 同じレベルの到達者において、競技レベル間で選んだ回答選択肢の分類の数と、その組み合わせを比較する(図表2)

【図表2. 到達レベルと回答選択肢の分類の数】

結果

  • 「クリーンアスリートのイメージに最もあてはまるものを3つ選択してください」という質問に対して、ナショナルプール(IF-RTP/TP以外)アスリートでは、「自分と対戦相手や仲間(チームメイト)に対して真なる態度・状態でいるアスリート」「他の人や社会に良い影響を与えているアスリート」「一貫した真なる態度でいるアスリート(自分のTRUTHを持っている)」の順で回答選択率が高かった(図表3)
  • JADA-RTP/TPアスリートでは、「自分と対戦相手や仲間(チームメイト)に対して真なる態度・状態でいるアスリート」「一貫した真なる態度でいるアスリート(自分のTRUTHを持っている)」「禁止物質を摂取しないアスリート」の順で回答選択率が高かった(図表3)
  • ナショナルプール(IF-RTP/TP)アスリートでは、「自分と対戦相手や仲間(チームメイト)に対して真なる態度・状態でいるアスリート」「他の人や社会に良い影響を与えているアスリート」「禁止物質を摂取しないアスリート」の順で回答選択率が高かった(図表3)

【図表3. 競技レベルごとの回答】

  • アスリートが選択した3つの回答から、各競技レベルにおいてアスリートの到達レベルの割合を算出した。また、到達レベルごと、回答選択肢の分類の数を分析した。(図表2)
  • 全ての競技レベルにおいて、「レベル④到達者」の割合が高かった(図表4)
  • 全ての競技レベルにおいて、「レベル④到達者」のアスリートの中で回答選択肢の分類の数「3」の割合が高かった(図表4)
  • 「レベル④到達者」のアスリートが、回答した分類の組み合わせは、ナショナルプール(IF-RTP/TP以外)アスリートとJADA-RTP/TPアスリートでは分類②③④の組み合わせの割合が一番高かったのに対し、ナショナルプール(IF-RTP/TP)アスリートでは分類①③④の組み合わせの割合が一番高かった(図表4)

ナショナルプール(IF-RTP/TP以外)各組合わせごとの割合

JADA-RTP/TP 各組合わせごとの割合

ナショナルプール(IF-RTP/TP)各組合わせごとの割合

【図表4.競技レベルごとの到達レベルと回答選択肢の分類の数】

考察

  • JADA-RTPおよびナショナルプールにおいて、スポーツに対する観点は「社会との関り」まで広がっていることが示唆された
  • 全ての競技レベルにおいて、「レベル④到達者」のアスリートの中で回答選択肢の分類の数「3」の割合が高かったということは、レベル④到達者は、全て異なる分類から3つの回答選択肢を選んでいたということである。これより、スポーツに対する観点を広げるためには、分類④の観点に偏るのではなく、①から④の観点、つまり「アンチ・ドーピング規則を遵守」から、「他社との関りを重視(スポーツを含めた社会全体)」までの様々な広さのスポーツに対する観点を横断的に持つことが必要だと示唆された
  • 今回設定した群の中で、一番競技レベルが高いナショナルプールに属するIFから指定・登録され居場所情報を提出しているIF-RTP/TPアスリートでは、「レベル④到達者」のアスリートの中で分類①③④の組み合わせの割合が一番高かったことから、世界のトップアスリートの場合、国内を中心とした活動環境とは異なる中で、スポーツを通した社会や他者との関りの観点を持ちながらも、クリーンアスリートとしてアンチ・ドーピング規則と向き合う観点を強く持っていることが示唆される
  • 教育に関する国際基準ガイドラインでは、アスリートが学ぶ<11のトピックス>の学習内容に対して、学習者にあわせて認知領域の段階的な教育目標(「認知する (aware)」、「理解する (understand)」、「行動する (be capable of/be able to do)」)を設定する必要があるとしている。そして、「行動する」という目標まで達したら学習が終了するのではなく、各段階を行き来することで習慣付けができ、行動に対する責任の度合いが上がり、行動ができるようになるといったが、効果的な学習の必要性が示されている。今回の調査・分析結果より、ルールに違反しないためのルール順守という観点から認知領域だけでなく、クリーンスポーツを考える観点の広がり、自身の考え方・価値観(真でありたい、プライドを持ちたい)に関する非認知領域に関して、クリーンスポーツに関連した重要性が明らかとなった。スポーツを通した社会との関りといった横断的な広さの観点を養うことが結果的に、アスリート自身がクリーンスポーツに参加する権利を守ることにもつながることにもなるといえる。
  • ハイパフォーマンスアスリートに対するクリーンスポーツ教育においては、クリーンスポーツやスポーツを通して自身の価値観や考え方(信条)を見直すことを様々な観点で考えることができる教材やアクティビティ、ハイパフォーマンス以外の競技レベルのアスリートとの協働的な学び(例えば、クリーンスポーツをテーマとしたユースアスリートとハイパフォーマンスアスリートの合同ワークショップなど)が有効であると考えられる